つれづれマンガ日記 改

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萌え文化の新境地 ~ メタモルフォーゼの縁側

総合評価・・・3.78

前回に続き、女性二人が主人公のマンガ第二夜

マンガランキングで上位を獲得し映画化もしたので未読の方は少ないと思われる本作だが、正直苦手なマンガである。だが、それは面白くない、という意味ではない。
非常に面白いのである。読後感爽やかな素晴らしい作品であることは間違いない。

ただ読まれた方ならわかると思うが、この作品は恐ろしく描写が繊細で非言語表現を多用するので、感受性が豊かな読者層には強烈に突き刺さるのだが、文字やセリフで心情を判断しようとする論理的思考型の読者にとっては、解釈が難しいのである。

もちろん、こんな小難しいブログなんぞを書いている時点で残念ながらブログ主は左脳型であり、この手の繊細なマンガを読み解くのが苦手なのだ。


ただ、その手の右脳直感型の作品は固定ファン層はつかむことはあっても、そこまで大衆に幅広く受け入れられずに部分的な熱狂で終わることが少なくないのだが、本作はなぜ映画化するほど幅広い層に愛されたのか。

その理由が75歳のおばあちゃんと、17歳の女子高生がBLでコミュニケーションする、という設計の妙なのである。


非常に残念なことに、本作のおばあちゃん主人公「市野井 雪」を40歳のおばさんに変更すると、この作品は成立しないし、きっと映画化も果たしていないだろう。

それぐらい、この年齢設定が絶妙なのだ。

高齢女性マンガは最近徐々に人気が出てきており、それは同時にマンガ読者層の高齢化を意味するのだが、それにしても「傘寿まり子」のようなヒロインならまだしも、これだけ自然体のおばあちゃん主人公というのは、やはり一つの発明と呼べるだろう。

そして、その人生の速度と重ね合わせるように、世の中のスピードについていけずに、自身の中にある妄想を吐き出す先がない、もう一人の主人公「佐山 うらら」の心理描写の少ないこと。

代わりに彼女はいろいろなものを見て感じているのだ。
時に幼馴染の表情を、父親の行動を、市野井さんの背中を、彼女はしっかりと見ているのだ。そして、心の中でいろいろ考え、それを口には出さず不器用に行動するのだ。言葉に出せない「楽しかった」という言葉を一人で抱え込んで。

だからこそ、51話あのラストの一言が鮮烈に映るのである。

そして、最初は世間の常識では理解されない年齢差を超えたコミュニケーションにおびえながら、周囲の目を気にする関係から始まり、徐々に、お互いの心のおもむくままに、自分たちの好きなことを語り合う二人を読者は応援したくて最後まで読まされてしまうのである。


これらを総合的に解釈すると、本作は結局のところBL作品なのだ。

主人公二人は女性同士の関係性であり、恋愛が発生する百合作品でもないわけだが、それでも絶対にこれはBL作品なのだ。
なぜなら、BLというのはためらいの関係性における文化だからだ。

そして作中で語られている「応援したくなっちゃうのよ」というセリフそのものが作中作品への感想であると同時に、読者が感じている二人への眼差しそのものであり、萌えを感じる構造となっているのだ。

1巻より引用

この「萌え」という表現は使い古されすぎた言葉であるが、その源泉がもつイメージは非常に幅広い。

最近読んだ対談集「仕事でも仕事じゃなくても」の中で、よしながふみが語っているが、ガラスの仮面の亜弓さんとマヤの関係性と、BL作品の男の子同士の関係性に感じる萌えの源泉は同じと解釈していることからも、萌え文化はやはり関係性の文化なのである。

作者「鶴谷香央理」も、まさか本作がここまで伸びるとは想定していなかっただろうが、結果として、この二人の主人公を通して、今まで誰も描いていなかった萌えとBLの関係性における一つの新境地を描いたのが本作だったわけである。

強すぎる萌えでもなく、ファンに媚びる萌えでもなく、穏やかな空気が流れる、二人の関係性をのんびりと楽しめる名作である。

ただ、作者の次回作があれば、もう少し、もう少しだけ左脳的な解釈も付け加えてくれるとありがたい。結局、メルカリで落札した漫画道具が、コメダ先生の過去の所持品だったのかは結局読み解けなかった。

まぁ、それもまた、たんなるブログ主の妄想なわけであり、その様々な余白の多さこそが本作最大の魅力なのだろう。


さて、次回は「サトコとナダ」の予定。
しかし、何の気なしに本棚から取り出して読み返した作品が三連続で女性主人公二人ジャンルだったとは、なんだろう・・・疲れてるのかな・・・




 

 

これも大変楽しかった。古くからよしなが作品を読んでいる身としては最高でした。