つれづれマンガ日記 改

マンガをテーマに、なんとなく感想。レビュー、おすすめ、名作、駄作、etc

黒手塚の怪作 ~ 奇子

総合評価・・・3.56


手塚作品はあまりに膨大にあるわけだが、黒い手塚作品としてはかなり知名度の高い本作を今更ながら読了。


タイトルがヒロインの名前「奇子」で、ネット情報だと手塚治虫がエロシーンを描いているという事や近親相姦といったテーマが強調されてたので、ひたすらこのヒロインのエロティシズムとフェティシズムが中心の作品なのかと思っていたのだが、正直、そこにはあまり強い印象を受けなかった。

というか、ヒロインにそこまで大きくページを割いている作品ではなく、どちらかというと、数奇な運命をたどることになった一族を描いたミステリーやサスペンスといったジャンルだろう。

そもそも手塚治虫は案外女性ヒロインの裸をよく描くし、後年「漫画の神様」という称号を与えられてしまったために清廉なイメージも付与されてしまったが、どちらかというと人間の業を描くのが好きな作者だったので、その点は何か特別感銘を受けることはなかった。

また、これは恐らく作品発表当時の1970年代という時代背景も大きく影響しているのだろう。

その時代にSEXを描写しているマンガは確かに少なく、ましてや近親相姦といったテーマまで含むとなると、確かに当時読んだ読者には強烈な印象を残したと思われる。

しかし現代マンガがそのあたりの性癖に関する領域はあまりに未来を先取りしてしまっているので、その点では強い印象は残らなかったという読後感である。

では本作は面白くないのか、というと決してそんなことはない。

むしろ、いくつかの黒手塚作品シリーズと同様に、ストーリーがどのような結末を迎えるのか、という点が最後まで気になってしまい一気に読まされてしまった。
以下、多少ネタバレ含み感想。



舞台となるのはかつての大地主である「天外家」という一族のもとに、戦争から帰ってきた次男の「天外仁郎」が帰郷する場面から始まるわけだが、現代の読者として強い印象を受けるのは昭和20年代頃の時代背景における閉鎖された農村の大地主の家長制度の歪さだろう。

家長が座るまで食事に手をつけない場面(上巻より引用)

家長の「天外佐右衛門」が登場しておもむろに座り込んでから、やっと家族の面々が食事を始めるというシーンは、昭和生まれの古い家の人間ならまだ記憶にあるかもしれないが、それ以降の世代の人間にとってみれば、もはや作劇の中でしか見なくなってしまった世界線なのではないだろうか。

様々な元凶となる家長(上巻より引用)


この、家長制度から始まる閉鎖された空間における人間関係と財産争い、わかりやすくいえば横溝正史犬神家の一族的な世界観に読者は引き込まれていくわけである。

また戦後の共産主義GHQ、そして国鉄総裁の下山事件といったあたりの時代背景の面白さも加わって登場人物たちはまさに運命に翻弄されていく事になる。

戦後の動乱に翻弄されるもう一人の主人公「仁郎」


そして、本作にさらなる異色さを加えているのがもう一人の主人公となる「奇子」だ。

ただし、彼女自身はタイトルには使われているものの、およそ主人公といえるような動きはしていない。というか、むしろ自分自身の意思で動くシーンはまれである。

数少ない生きる意志を見せる場面


その数奇な生まれから若くして土蔵に閉じ込められ生きることになる彼女と、汚れた一族の末路を描くサスペンス作品となるわけだが、この手の巨大な運命というストーリーの流れに翻弄されるキャラクターを描かせるとさすがは手塚治虫、気がつけば続きが気になって上下巻一気に読まされてしまうというわけだ。


「MW」や「きりひと賛歌」の時にも感じたが、手塚短編作品はやはり文庫上下2巻ぐらいの長さが一番、緊張感が続くし読後感が良い気がする。

というわけで、古い時代のサスペンス作品に興味がある方に是非おススメしたい。

なお、オリジナル版には最後のエンディング7ページ分の別バージョンがあるそうなのだが、流石にプレミアすぎて手を出す気にはなれない。ご興味があればどうぞ。