つれづれマンガ日記 改

マンガをテーマに、なんとなく感想。レビュー、おすすめ、名作、駄作、etc

シン・エヴァンゲリオン劇場版

マンガブログなので、アニメの事は書いたことないのだけど、
一週間たってもシン・エヴァの呪いが解けないから、書く。
頭の中のモヤモヤは書いてしか癒されぬ。


というわけで完全にネタバレなので、必ず劇場で見た後に読むこと。
こんな至高の名作をネタバレなんてしたら、
もったいなさ過ぎて人生が何度あっても足りない。

あと、今回のレビューはYoutube岡田斗司夫の解説動画にも強烈に影響を受けていて
人生で初めてYoutube課金してしまったぐらい良い考察だったので、そちらも出典として後で貼っておく。
その意味で、このレビューは物語考察ではなく創作者目線の考察なので、興味がない人はそっ閉じしてお帰りください。

なお、Twetter感想の中で、シンジ=庵野だとかいう創作者の視点の感想なんか考えずに純粋に物語を楽しめば良いのに、という意見があって、
それはそれで本当に真理で、我ながらこじれた文章を残しているなとも感じているのだが、
1996年から始まった新世紀を過ごしたオタクにとっては、25年の歳月は十分に長く、
そして、当時あれだけ夢を見せてくれた監督が25年をかけて出した答えに感謝を伝える意味でも、
創作者視点の感想を書いてしまうことは仕方ない事であり、もう勘弁してもらうしかないのである。


以上の長い前口上を踏まえて、

マリは何者だったのか、
アスカは何故あれほど魅力的なキャラなのか、
そして、どうしてこれだけ本作の出来栄えに満足できたのか、

について創作者視点で考えてみることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初今作を見終わったときに心底感動して、しばらく放心していたのは皆さまと同じわけだが、
あとから一つだけ、どうにも解決できない疑問が湧いてきた。

それが、「マリって何者なの?」という事だった。

無茶苦茶面白かったんだけど、マリって何なの?
急にシリーズに入ってきたけど、このキャラである必要があったの?
レイやアスカじゃダメだったの?
なんかゲンドウ達の同期っぽい描写が描かれるけど、なんでこんなに無敵なの?
そもそも何が目的で彼女は動いているの?


このあたりの疑問がどうしても晴れなかったのだ。

過去の自分のブログレビューを見ると、どうやらしっかり漫画版には目を通しているようなので、
マリの存在は認識しているのだが、どうにも記憶に薄い。
少なくとも今回の新劇場版シリーズほどフォーカスされていなかったことは間違いない。


それが今回、岡田斗司夫解説の「監督=創作者目線で物語を解釈する」を聞いたことによって
全てが腹落ちしたのだ。


そうか、マリの存在は人生の伴侶である「安野モヨコ」だったのかと。

そう考えるとすべてが納得いった。
特に、レイ・アスカ・マリという三人の女性像が綺麗に理解できたのだ。


今作のエヴァが何が良かったとか言えば、ほぼ全ての登場人物が自分の心の内側を
素直にセリフにして説明してくれるという点である。

多少、冗長すぎるという意見もあるかもしれないが、このあたりが100%不親切設計されていたのが、
過去のエヴァシリーズなので、正直ラストはこれで良かったと思う。


中でも今までしゃべれなかった分しゃべらせろよ、
と言わんばかりにゲンドウは自分語りをしてくれて、物語の納得感・満足感を高めてくれる。

そんな親切設計の中、唯一、全くもって心の内側が読めないのがマリの存在なのである。

生き抜くには厳しすぎる破滅的なニアサー以後の世界を、鼻歌交じりで楽しく前向きに乗り越えてしまうキャラクター。
はっきり言って無敵である。

ストーリー考察の観点で見てしまうと、どうしてもこの万能感と人生を前向きに捉える力に違和感を感じてしまうのだが、
人生の伴侶だったと考えれば全くもって納得がいく。

だって、人生で一番身近にいる人は常に謎に満ちていて、自分が落ち込んでいるときにこそ前向きに生きていて、そして心の中を読めないものだからだ。

それゆえに、マリが自分の過去を語ったりしないのも当然だし、彼女が最後にシンジと手を取り合って走り出すラストはある種必然なのだ。


しかし、そのような創作者目線で考えると気になる点が出てくる。
それがアスカの存在である。

レイが母性の存在であることは、「あなたは死なないわ、私が守るもの」的な彼女の徹底した献身からもよくわかるのだが、
アスカは本作の中では初恋の人として描かれている。

特に「あなたの事が好きだったと思う」という感情をお互いに話し合うシーンは、まさに初恋との決別であり、
14歳の時に見ていたらどうにも理解できない感情かもしれないが、中年が見るにはまさに納得のいく決別だ。

ただ、ちょっと待ってほしい。
じゃあ、これは庵野監督の初恋の人物が参考になっているのか?


当時あれだけ若い頃から、特撮やアニメーション作成に命をかけていたクリエイターが、
初恋の人と全力で人生を謳歌していたなんて、とても信じられないし、信じたくない。
そんな人生を過ごしていたら、あれだけの作品群を創れるわけがない。

そう考えたときに、アスカの魅力の正体がわかった気がした。


アスカの存在は、マンガ・アニメの世界に住み続けていたオタクが愛したヒロインそのものなんだ、と。

レイやマリと異なり、アスカだけは真の意味での虚像なのだ。

マンガ・アニメの世界にだけ存在していて、
時に全力で、時に健気に男の子を励ます理想のヒロイン像。
それがアスカのモデルなのだ。

だから、エヴァファンにアスカ推しが多いのも当然なのである。

異国帰りで成績優秀・容姿端麗、明るくクラスの中心的存在なのに、
自分にだけはたまに気を許して、時には助けを求めてくる。

これは初恋の人とかいう個人的な思い出に依存する存在ではなく、
オタク世界に住んでいる住人が、心の中で妄想していた
こんなヒロインがいたらよいなぁという理想のキャラそのものなのだ。

それゆえに旧劇シリーズの最後で彼女は、気持ち悪い、とシンジを拒絶するのだ。
他人の人生に一方的にヒロインを求めても、応えてはくれないからである。

そしてDSSチョーカーという人生の呪いを外してくれた伴侶が登場したことで、
エヴァは無事、あれだけ多くの観客を納得させるエンドを迎えることになったのである。
 

はっきり言おう。
公開直後は見に行くつもりがなかった。だって、終わる気がしなかったから。

あんなに壮大に広げた風呂敷が、畳まれる気がしなかったのだ。

また、意味不明なラストシーンを見せられて虚しく映画館を出るだけだと。

これだけ多くの観客を相手にした唯一解が示せるわけもなく、
おめでとうと拍手されるシーンを見るのはまっぴらごめんだと思ったのである。

ただ、本当にありがたいことに、シンエヴァは、その懸念を木端微塵に打ち砕いてくれた。

素直に面白かったのだ。

もちろん、途中で出てくる様々な設定にはよくわからないことがたくさんあった。
でも、そんな事どうでもよくなるほど、面白かったのだ。
映画館を出た後、興奮が冷めやらなかったのだ。
そして、それこそが25年前に見たTVシリーズエヴァの興奮そのものだった。

でも、今回は興奮だけではなかった。

世界の中心でアイを叫んだけものが終わってから、
当時の友人たちと「何が起こったんだ」と長電話をしたり、
旧劇が終わってから足取り重く無言で映画館を出るような困惑でもない。

見てよかった、と思いながら気持ちよく映画館を出れた理由。
それは、結局のところ主人公の成長を見れたことだからなのだろう。


シン・エヴァはループする作品の構造上、色々なエンディングを創ることが可能で、
例えば、
世界の時間を戻すこともできたし、
学園エヴァの世界を描くこともできたし、
漫画版のような完結を描くこともできたし、
世界の終りのその後を創世記を描くこともできたし、
勿論、TVシリーズのような心象世界を描くこともできただろう。

でも結局選ばれたのはエヴァのない世界=現実だった。
この終わり方自体は、寂しい終わり方のようにも思える。
でも、全然寂しさはなかった。

二人だけしか登場しないラストだったが、
それでも、あれだけ頼もしく成長したシンジを見れたのが爽快だったのである。


勿論、こういった未来描写を確定させてしまうラストはオタクにとっては賛否両論あって、
読者側のその後の妄想の自由を奪ってしまうという意見もなくはないのだが、
でも、やっぱり今回のエヴァで見たかったのは綺麗な終わり方だったのだから、これで良かったのだ。

そう考えるとこの、
「主人公たちの少しだけ先の時間軸を希望に満ちた描写とともに描く」
というラストシーンは、子供の頃から多くのマンガ・アニメ好きが触れてきた、
普遍のエンディングの一つなのだろう。


ちなみに余談だが、犠牲になるはずだったシンジの側には、
ずっと守ってくれていた母親がいた、というのもやはり、
「自分の手の中にあったものに気が付かされる」という王道のストリー転回の一つで、
王道は強いなぁとしみじみ感じさせられたのだった。

 


さて、最後に今回のレビューに影響を及ぼしまくった岡田斗司夫の作品論に触れて終わろうと思うが、
中でも儀式の話と面白さに対する解説が最高だった。有料だが見るべきである。

特に最高だったのが庵野監督がなぜ「シン・エヴァを作るにはシン・ゴジラを作る必要がある」と言ったのか。

これは私は本当に心底納得できた。
仮に本人が否定したとしても、私は岡田説を信じたい。

「呪的な儀式を通す事で、理性で作るフィルムメーカーより、ずっと原始的な感情、魂の入った映画を創れる」

一人の人間が人生をかけて創造してきた作品がテクニカルな話だけじゃつまらんのだ。
魂込めて創ったという話のほうがずっと良い。
だって、そのほうが人生に夢があるし、見る側も全力で感動する甲斐があるってもんだ。


また、感動や面白いというのは、言葉で簡単に説明できないものであり、
何が何だかわからないけど「凄い」と心が動く事が感動だ、
という解説も非常に納得いくものであり、本作はまさにそれを体現した作品だった。
言葉で説明できるマンガやアニメは、やはりそこまでのレベルなのである。


そして、この凄さは岡田斗司夫の解説そのものにも同じことを感じた。

もう何を言っているのかわからないし根拠が乏しいように思うところもあったけれど、
でも、それを飛び越えて「凄い」のだ。
それぐらい作品を楽しんで熱く語っているからこそ、見ているこちらも感動するのである。

そんなエネルギーに満ちた怪獣が他にもいっぱい居たわけだから、
まぁ、GINAXは売れるべくして売れたんだな、と感じた次第である。

 


何でもインターネットに答えが書いてあって、
一つ一つの娯楽の時間はどんどん短くなっていき、
わずかな隙間時間を見つけてはSNSをチェックすることで、
自分の感想すらブログやtwitterの中でアウトソーシングしてしまう現代において、
3時間もの人生を拘束するなんて、なんて贅沢なエンターテイメントなんだろう。


エヴァに人生を狂わされた子供だった自分も、ようやく次に行けそうである。
面白かった。

 

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

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以下は過去の漫画版の記事と岡田斗司夫の解説を貼っておく。

mangadake.hatenablog.jp



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