評価:3.5 / 5点
珍しく少し、ひいきしている作品かもしれない。
というのも、本作は打ち切りだったかはわからないが、まだ描ける部分がありつつも全3巻で短く完結してしまった作品だからだ。
そして、最後まで十分な尺をもって描き切れてない作品というのは、どうしても後半の構成や展開に難が出るので作品としての評価は低くせざるを得ないのだが今回はそれでもなおブログを書きたくなる面白さを感じたのだ。
一言でいえば「いぶし銀」の渋い良作なのである。
そして装飾華美な現代において、こういった地味だが考えさせられる作品が読まれる事こそマンガという文化の役割があるのではないかと感じて、応援の意味を込めてレビューする事にしたわけである。
主人公の「佐々田絵美」は圧倒的に地味な存在である。
寡黙で独特で自分の内心を多く語らない。
対して、もう一人の主人公となる「高橋優希」はわりとテンプレ的な陽キャのギャルである。
完全に別世界の住人であるこの二人が、ある出来事をきっかけに相手に興味を持ち交流を始め、そして徐々に友情を深めていく、と書くとまぁよくある青春群像劇なのだろう。
ただ、本作はそれらの作品とは少し趣が異なる。
それが全編を通して描かれる、なんともいえない「息苦しさ」や「重苦しさ」なのだ。
そして、この苦しさこそが、恐らく作者「スタニング沢村」が人生を通じて感じてきた感情なのだろう。
性自認という問題である。
ただ本作が好ましいなと思える理由は、それを声高に謳っていない点にある。
主人公の佐々田が見せるHSP的な雰囲気とあいまって、本当に緩やかに、そもそもそんな自分は正しいのか?といった自問自答する場面すらもあまり明確には作中で描かれないまま彼女の高校時代の時間は過ぎていくのである。
ここに本作の良さがある。
LGBTや多様性が叫ばれるようになった現代では、むしろノーマルな人間のほうこそ他者への配慮を求められるようになったわけだが、それでもあんまりにも多様性を強く主張される世界はお互いにとって厳しすぎる。
主張ばかり強い社会派マンガが誤解しているのは、マンガはエンターテイメントであるという事だ。
面白さを通じて読んでいく中で、「ふむ」と考えさせられる時間がある。それこそがマンガが担うべき場所なのだと思う。
その意味で本作はそのあたりのさじ加減が絶妙であり、性の多様性に悩む人が感じる、「漠然とした人生への不安感や生きづらさ」というものの一端を描くことに見事に成功している作品と言えるだろう。
しかし、それにしても惜しいのは「死神」こと「小野田健介」の存在だ。
彼はとても良いキャラクターだったし、彼と佐々田の交流の場面がもっとあれば本作のラストはますます素晴らしいものになっただろう。
最終巻の帯コメント通りこの作品には「まだまだ時間が必要」だったのである。
色々な意味でもう少し読んでみたかったなぁ。
レビュー執筆:mangadake(当ブログ管理人)