総合評価・・・4.24
さて、以前この記事を書いた時は世の中ではゲゲゲの鬼太郎の猫娘が話題だったのだが、今度は悪魔くんが再アニメ化という事なので改めてリライト。
悪魔くんというのは鬼太郎と比較すると非常に難しい作品で、正直、売れたか売れないかでいうと、鬼太郎の足元にも及ばない作品である。
アニメ化に関しても鬼太郎は第6期という偉業を達成しているのに対して、悪魔くんは1989年に一度だけアニメになっただけとなり、その後、30年の時を経て現代に復活というのだから、いかにも1万年に一度の主人公らしい存在感だ。
ちなみに悪魔くんという作品がゲゲゲの鬼太郎に比べると売れていない原因だが、40年来の水木しげるファンから見てもあまりに作品の変遷が複雑なのである。そこが本作の評価を難しくしている。
ざっとAmazonを検索してみても、水木しげる大全集やら貸本版やら千年王国とかが出てくるし、もう少し検索するとノストラダムス大予言とかコミックボンボン版とか出てきてしまって、初見殺しのカオスになっている。
そこで非常にざっくり分類すると、悪魔くんには大きく2種類ある。
一つが貸本時代の旧悪魔くんであり、もう一つがアニメ版の原型となった悪魔くんである(このブログ内では便宜上、こちらを新悪魔くんとして以下記載する)。
↓旧悪魔くん
↓新悪魔くん
さて新旧の何が違いかと言えば、一言で言えばわかりやすい悪魔としてのキャラクターを与えられた「メフィスト」が存在しているかどうかで分類すると良い。
このメフィストが魔法の力を使って悪魔を打倒していくのが新悪魔くんであり、コミックボンボン版やノストラダムス大予言といった作品群の派生を産むことになる。ちなみに皆さん大好きアニメ版のメフィスト2世、今度のアニメ化では3世として登場する彼は、このおじいちゃんメフィストの系譜になるわけだ。
話の流れとしても悪魔退治がメインの子供向け作品であり、酷い言い方をすれば悪魔版鬼太郎である。ただし、正義の主人公の物語なので90年代のアニメ版を作成する際にこちらの新悪魔くんがベースになったのは、ある意味正しい判断であった。
反面、貸本版の流れからくる旧悪魔くんには、この便利な魔法使いとしてのメフィストがいない。そして代わりに出てくるのはなんとも地味な悪魔である。そもそも作中でも単に「悪魔」と呼ばれていて名前もなければ魔法も使わないのだ。
その代わりに人間世界の闇や経済に詳しく、ある意味現代の悪魔である。また主人公の悪魔くん自身も、一般人の家庭教師を生贄に黒魔術を使ったりして相当ダークサイド。ある意味アニメ化されないだけの事はある主人公だったのである。ちなみに、こちらの旧悪魔くんの流れを汲んでいるのが千年王国編である。
しかし、作品としての面白さはどちらが上か、と問われれば圧倒的にこれは貸本時代をベースとする旧悪魔くんが凄い。というか凄いを超えて凄まじい。
新悪魔くんが、召喚した悪魔メフィストを使って悪魔退治を繰り返すという一般的な少年マンガの枠の中の作品であるのに対して、旧悪魔くんは1万年に一人の「精神的異能児」である主人公が、現代の格差社会を憂い、真に平和と平等な楽園を築こうと奮闘する展開で、その物語のスケールの大きさと異端の展開は圧巻である。
このあたりは水木しげる伝でも語られており、当時の貧乏な水木しげるが抱いていた、経済社会への憤懣やるかたない情念が爆発した異色の大傑作なのだ。
なお貸本版は想像以上に駆け足の打ち切りになってしまっているので、貸本復刻版ではなく、ある程度の話の流れを抑える意味で「千年王国編」が一番オススメしたい。悪魔のデザインも異形なのに魔法も何も使えないというギャップが面白い。
ちなみに私が手元に持っているのは以下のバージョンなのだが、ちくま文庫版や別バージョンが同じ内容かどうか自信がない。それぐらいバージョン違いが多いのが悪魔くん最大の悩みである。
千年王国編は十二使徒の数人が単なる一般人だったりして、アニメ版の悪魔くんに慣れ親しんでいる人にはとても信じられないような展開かもしれないが、この悪魔くんこそ、水木しげる御大が、「不浄に満ちた社会をフンサイする」為に描いた大傑作なのである。
未読の方に是非オススメしたい、不朽の水木作品の一つだろう。
最後に水木しげる伝も張っておく。これも非常に面白い。作者の信じられない生命力を感じさせる傑作である。