(2011年評)
シギサワカヤ作品2つめ。
兄妹の近親相姦
同僚との恋人とはいえない関係
妹の売春
元恋人のリストカット
とりあえず、描きたかったであろう歪んだ空想を
色々詰め込んだ作品となっており、混沌としている。
面白い話もあれば、若干その感性についていけない話もあり、
玉石混合だ。
ただ、気になったのは玉石混合の中でも
玉に該当する話はサイドストーリー的な短編モノが多かった点だ。
これは、前回記述した「性描写が上手」とも関連してくる問題なのだが、
「短編サイドストーリーが上手」も根っこは同じ問題だと私は捉えている。
「短編サイドストーリー」は、読者を短いページ数で
引き込む事が命題となるため、
多少の空白を作品に埋め込むことが許される。
一番多いパターンとしては、
ラスト辺りで大きなどんでん返しを埋め込み、
それ以降のキャラクターの人生に関して、
読者の想像に委ねるパターンだ(箱舟の行方はまさにこの手法だ)。
短編作品としては完全に成立するこの手法だが、
いざ長編化すると、厳しい敵になる。
なぜなら、創作者はその瞬間における情念や瞬間を
切り取って物語を描いているのであって、
その後のキャラクターの人生までを想像しきって
創作しているわけではないからだ。
その為、長編化してキャラクターの心理を
深く掘り下げ始める必要が出てくると、
どうしても論理的に読者に説明するのに疲れが出てくる部分がある。
そこで悪い方向にこの問題を解決してしまうのが、
「性描写が上手」という技術なのだ。
物語が抱える「キャラクターの精神描写」の困難を
ある程度感情的に吹き飛ばしてくれる手段として、性描写は大変はまる。
ただ、それだと読者は本当の面白さには辿り着けない。
難しい問題である。