「鬼頭莫宏」作品には、圧倒的に欠落しているものがある。
それが「死」へのリアリティーだ。
すべてのキャラクターが、
あたかも死を受け入れて、
死を平然と乗り越えようとする。
そんな妄想に取り付かれたフィクション世界。
その辺りの感覚は、
「なるたる」時代から変わらず、
本作も登場人物が何事もなく死ぬ。
そもそも選ばれた主人公たちは、
ロボットに乗って世界の敵を倒す存在なのに、
その勝利と引き換えに死ぬ。
本来であれば精神異常を引き起こして
構わない状況なのに、
鬼頭作品の一連の主人公たちは、
平然と現実を受け止めているように、見せかける。
本当はそんな人間は
実在し得ないのにも関わらずだ。
作品の都合で、
極限まで人間性を削られたキャラクターを動かす、
作者の実験世界。
描かれる世界の線の細さとか弱さが
その世界観をさらに完成させている。
そして、極限まで傷つけられた人間を眺め、
読者は時に癒され、時に涙を流して生を感じる。
本当の意味での有害図書というのは、
こういった存在なのかもしれない。
そして、そんな確信犯の作者の作品を、
また懲りもせず読む私がいるのだ。
ちなみに、鬱系作品と雰囲気系作品が嫌いな方は、
鬼頭作品は鬼門なので、心すること。