つれづれマンガ日記 改

マンガをテーマに、なんとなく感想。レビュー、おすすめ、名作、駄作、etc

不滅の人間賛歌 ~ ジョジョの奇妙な冒険1部から8部

総合評価・・・4.20

 

ジョジョ全巻

それは、第一部から第五部の63冊、第六部ストーンオーシャン17冊、第七部スティール・ボール・ラン24冊、そして第八部ジョジョリオン27冊の合計131冊から成る30年近く続く唯一無二のシリーズである。

 

ジョジョリオンが完結したら全部読み返そうと思っていて、ついに、その時間が取れたので久しぶりにブログ更新する事にした。

 

ただ、ジョジョほどのメジャーシリーズの感想は世の中に溢れかえっているので、せっかく全巻読み返した記念に、各巻の作者コメントなどを見ながら、作品テーマを振り返ってみることにしたい。

もちろん内容的には容赦なくネタバレするので、未読の方はご注意を。
強烈に長文のブログになったあたり、さすが数十年続くシリーズだけのことはあった。

第一部 ファントムブラッド
(1巻~5巻)

・はっきり言うと、この作品のテーマはありふれたテーマー「生きること」です。
対照的なふたりの主人公を通して、ふたつの生き方を見つめたいと思います。
「人間」と「人間以外のもの」との闘いを通して、人間賛歌をうたっていきたいと思います。(1巻作者コメント)

ここで明確に記載されているこの「人間賛歌」というテーマ。

これはジョジョシリーズの代名詞とも呼べるテーマであり、以後何度も登場してくる。

また、「二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。一人は泥を見た。一人は星を見た。」という「不滅の詩」の話も特徴的で、ジョナサン・ジョースターとディオの対照的なその後の展開を暗示している。

また5巻の作者コメントで、

・読者が『ジョジョ』の運命を知りたいように、ぼくも読者が、どんな人かを知りたい

と書かれている点からも、この「人間の生き様や運命」といった要素に作者が強く惹かれていることが読み取れる。

この運命というテーマも人間賛歌と同様に、その後のジョジョシリーズを支える骨子の部分となるわけだが、漫画家のオリジナリティの源泉は初期作品に顕現するという特徴が良く出ている。

第二部 戦闘潮流
(5巻~12巻)


非常にシリアスだった第一部のキャラクターから、一転、作品の幅を広げた主人公「ジョセフ・ジョースター」が活躍する第二部は、わかりやすい少年漫画の第三部以上にコアなファンが多いシリーズではないだろうか。

このシリーズで特筆したいのは11巻と12巻の作者コメントである。
1989年初版の11巻では、お金や物質的な利益だけを求めているのは危険、というバブル経済に対する作者の慧眼がうかがえる。そして、改めて以下のコメントを残している。

JOJOは、「生命賛歌」というか「人間って、すばらしいなぁ」ということをテーマに書いています。主人公にも、機械やテクノロジーにたよらずに、自分の肉体を使って、危機をきりぬけていくというこだわりが、あります。(12巻)


この、危機をきりぬけていくという姿をまさに体現したのがジョセフ・ジョースターであり、最後まであきらめない人間としての強さが、究極の生命体となったカーズに打ち克つ展開は長いジョジョシリーズの中でも屈指の名場面であろう。

第三部 スターダストクルセイダース
(12巻~28巻)

・この巻から『スタンド』と呼ばれる新しい能力が出てきますが、それは超能力を絵でイメージ化したものです。(13巻作者コメント)

ジャンプ黄金時代に描かれた作品であり、わかりやすい少年漫画であった点も含めて、最も幅広い層に親しまれているのが、この第三部だろう。
主人公側キャラクター群の魅力に加えて、因縁のディオも再登場しながら、次々登場する様々なスタンドとの闘いを描く本シリーズは、確実にジョジョのファン層を広げる事に貢献したシリーズである。

このシリーズは作品に関しての作者コメントは見られず、日常の中の体験や語りたいテーマを語っているが、最終28巻の最後にジョジョの初代担当編集「椛島良介」氏への感謝のコメントが掲載されている点が印象的だ。
担当編集との運命の出会いは第六部の16巻の作者コメントに書かれているので後ほど。


第四部 ダイヤモンドは砕けない
(29巻~47巻)

第三部の王道展開から打って変わって、作者が作品を楽しそうに描いている事が良く伝わってくるのがこの第四部である。楽しく描かれているぶん、ストーリー群はそこまできれいに繋がっていないのだが、シリーズを通しても独特なスタンドが多く、印象に残る話も多い。
また、作者の出身地である宮城県仙台市をもとに創作された仮想の町、杜王町がいかに作者のお気に入りだったかは、第八部ジョジョリオンで再登場している点からもうかがえるだろう。

作者コメントの中で、重要な内容は以下だろうか。

ジョジョに対して、よくいただく意見に第4部になって『”敵”が弱くなった』というのがある。(中略)しかたなく答えると第4部は「人の心の弱さ」をテーマに描いている。(45巻作者コメント)
・ちょこっと考えてると、マンガの中に強い敵が出て来る。その次にそれよりも強い敵が出て来る。その次はそれよりも強い。・・・となると最後はいったいどうなっちゃうわけですか?(中略)「悪いことをする敵」というものは「心に弱さ」を持った人であり、真に怖いのは弱さを攻撃に変えた者なのだ。(46巻作者コメント)

1996年初版の46巻時点で、作者はやはり「少年漫画の敵の強さのインフレ問題」に気がついており、以後、様々な角度でのラスボスの強さが描かれていくわけだが、その究極ともいえるスタンドがジョジョリオンで描かれる「厄災」という人智を超えた存在なのだろう。

第五部 黄金の風
(47巻~63巻)

ジョジョの奇妙な冒険、という題名のシリーズとしては最終となる第五部。
屈指の人気キャラクターであるディオの息子という設定を使って生まれた主人公「ジョルノ・ジョバァーナ」の登場である。
しかし、この魅力的な設定の主人公があまりに完璧すぎたため、徐々に作品の主人公はブチャラティになっていくわけだが、この展開は正解だったのではないだろうか。

弱い人間が運命に抗いながらも懸命に危機を乗り越える人間賛歌、というジョジョのテーマに立ち返ってみると、第五部はやはりブチャラティこそが主人公なのである。

また、生命を与えるジョルノのスタンド「ゴールド・エクスペリエンス」や、時間を消し飛ばす、というラスボスのスタンド「キング・クリムゾン」といった、シリーズ屈指の難解さをもつスタンドが登場することからも、作者の苦悩がうかがえるシリーズである。

作者コメントは最終63巻のコメントが重要なので、ここは全文を掲載したい。
・『連続』ー音楽のすばらしさは連続する音の美しさであり、モーツァルトは『音符一つとしてカットできない』と皇帝に向かって言ったし、生命も連続するDNAという鎖でできている。そう考えると、この世には連続するどうすることもできない「運命」というものが存在するのを認めざるを得ない。しかし一方で「運命」で決定されているとなると、努力したり喜んでも仕方がないという考えも生まれてくる。そこなんですよ。人間賛歌を描いていて悩む点は。答えはあるのか?(63巻作者コメント)

全ての運命が決められたものだとしても、その苦難の道のりが誰かの希望につながるという「運命」に対する人間の抵抗が、エピローグ「眠れる奴隷」には描かれている。


第六部 ストーンオーシャン
(1巻~17巻)

週刊少年ジャンプにおける最後の連載がこのストーンオーシャンである。
残念ながらこの頃のジョジョの掲載位置はお世辞にも高い場所にはなく、特に2000年当時の少年漫画を考えると、まだ女性主人公という設定が早すぎたという事もあり、第三部でつかんだ、少年漫画としてのジョジョが好きだった読者が離れていった不遇の時代ともいえるだろう。

しかし、しかしだ。

この第六部こそ、ジョジョシリーズの最高傑作だと個人的には捉えている。
このシリーズを読まずにジョジョは語れない。

特にラスボスのプッチ神父の哲学とスタンドが圧倒的で、このキャラクターの野望を超える悪役キャラを私は見たことがない。
単純な強さという意味ではジョジョリオンの「厄災」が強いのだろうが、強さではなく人類の幸福という妄想と「天国への階段」を目指したこのキャラクターはシリーズ屈指のラスボスだろう。

また作者コメントも面白い。

・マンガ編集者は普通、お昼過ぎから出勤する。20数年前、ぼくが原稿を集英社に持ち込んだのは午前中だった。だが、たまたまひとりだけ出勤していて、その人に原稿を見てもらった。彼は『ジョジョ』の初代編集者であり、彼の意見と影響は、あまりに大きい。午後に行っていれば、きっと違う編集者で、その人の影響を受け、違う作品になっただろう。「運命」は偶然ではなく理由がある。(16巻作者コメント)


第五部で抱えた運命に対する矛盾に対して、人と人との出会いは重力であり、そして、それこそが『運命』であり、正義の道を歩むことこそが『運命』なのだと力強く描かれる最終巻の展開は、第六部こそをジョジョシリーズの集大成と呼ぶに値する屈指の出来栄えである。

第七部 スティール・ボール・ラン
(1巻~24巻)

本シリーズから連載雑誌を変えて始まった第七部では、ついに「ジョジョ」の冠が外されての連載開始となる。作品自体は、ジョジョの世界観を維持しながらも、レースという制約を加えた事と、ジョースターの血統に縛られなくなったことによるジャイロの魅力にも支えられて、最後まで飽きさせない展開が続く娯楽作品だ。

だが、1巻作者コメントから本シリーズはジョジョであるとしっかり語られている。また、引き続き人間賛歌がテーマであることが示されている。

 

・漫画家の創作に対する姿勢の問題として、過去の作品を完全に葬り去ってまったく新しい作品を描こうというのは、良くない態度だとも思ったのです。作品のテーマというのは、過去から連続していなくてはならないのです。(1巻)

加えて、もう一つこの第七部から提示されるのが、第六部で示された「正義の道」という観点である。

・「正しい道」とはなんだろうと思う。愛とか正義を願う気持ちを持つあまり、間違った道に迷い込んだらどうしようと思う。それが正しいのか誤った道なのか、どうやって「2つ」を見分ければ良いのか?(8巻)
・「清らかさ」という感覚はとても大切な感覚だそうで、善悪の区別や、美徳や敬うべきものが、本能的に理解出来るそうです。(24巻)


正義の道を歩んでいることを信じ、それを歩むことが運命であれば、自分の進んでいる道への納得が必要となり、それを判断する際に必要な基準としての「清らかさ」といったテーマがあってこその「聖なる遺体」という存在だったと考えると、やはり深い。

ちなみに、第七部から第六部の影響で世界がパラレルワールドに突入してしまっているのだが、個人的にはこの点だけは残念に感じている問題点である。

過去の各キャラクターの印象や存在感というものは、ジョジョほどの名作になると簡単に払拭できるものではなく、特に第八部ジョジョリオンでは、そのマイナスの影響が大きく出てしまったといえるだろう。

第八部 ジョジョリオン
(1巻~27巻)

現時点における最終シリーズとなるジョジョリオンである。杜王町が再び舞台となる。

第七部とは異なり、サスペンスやミステリーといった形式で読める作品で、続きが気になってついつい先を読まされてしまう類の作品である。


またラスボスのスタンドの完成度が高いのも特徴で、東日本大震災の影響を受け、最終的には人間が避けることのできない「厄災」という概念と対決する事になる。
このスタンドは、強さの方向性として複雑化しすぎてしまった第五部のディアブロキング・クリムゾンや、第七部の大統領のD4C(いともたやすく行われるえげつない行為)と比べて、圧倒的にわかりやすい。そのあたりは最終巻の作者コメントにも書かれている。

・誰が一番強い敵なのか?何が強くて一番幸せなのか?『厄災』という敵は最強で最恐だと思った。厄災は不条理で襲って来るけれども、実は「理」でがんじがらめに繋がっていて、万人のもとに平等にやってくる。強すぎる。(27巻作者コメント)


ただ、個人的にこのシリーズで本当に残念に思っている点がキャラクターの名前である。パラレルワールドなので別人です、というのはわかるのだが作者は自分の作品のオリジナリティの高さを甘く見すぎている。

東方仗助や、吉良吉影はすでにその名前自体がキャラクターのシンボルなのだ。
だから、どうしてもその名前で呼ばれるキャラクターが行動すると、頭の中で第四部が再現されてしまう。これは本当に痛かった。ジョジョをしっかり読んでいる人ほど、この罠にはまってしまうだろう。

しかし、最後に仗助がケーキを選ぶシーン。これは素晴らしい。

第七部の大統領のように、力で「聖なる遺体」を獲得し最初のケーキを選ぶ人間になったわけではなく、他者からの尊敬を受ける人間として、最初のケーキを選ぶ立場になっている事を示しているところが非常に良い。

「厄災」という避けられない「運命」に対しても、「清らかさ」をもち生きることで「正義の道」を歩み乗り越える「人間賛歌」


今までのシリーズのテーマを集めて描かれている事がよくわかるラストシーンである。しかし、最終章が若干急ぎ足の描写に見えるのは、作者として泣く泣くカットしなければならなかったシーンのせいでもあるのだろう。この辺りは、25巻の作者コメントからも読み取れる。

最後に余談だが「植物鑑定人」のキャラクターがデザインと言動含めて最高すぎて、作者の溢れんばかりの愛情がひしひしと伝わってくるあたりを楽しむ事もジョジョリオンの重要なポイントである。あんな植物鑑定人を描けるのは荒木先生だけ!というやつである。

全シリーズを通しての総括


しかし、改めて全巻の作者コメントを眺めていると、本当に作者が歳をとっていなくて笑える。やはり、石仮面伝説は真実なのだ。

なかなか時間に余裕がないと全てを読み返すのは難しい作品だが、読み応え抜群の名作である。

f:id:mangadake:20220223213859p:plain