鬼滅の刃がついに、クライマックスを迎えた。
そこで本ブログを振り返ってみたところ、この作品のレビューを書いたのが2017年だった。自分が覚えていた以上に古くから鬼滅推しをしていたので、その意味でもこのタイミングで本作を振り返ってみたくなった次第である。
以下、本誌連載まで含めて色々ネタバレするので注意。
この作品のレビューでよく聞かれる声が、「当初は人気がなかったけど読み返したら面白かった」とか「自分はまだ漫画を見る目がなかった」的な、ジャンプベテラン勢による後悔のレビューだ。
確かにこの作品は、過去に類を見ないレベルで、打ち切りグループから看板作品に成長を遂げた怪作であった。私も数十年ジャンプを読み続けているが、ちょっと記憶にないレベルである。
では、振り返って鬼滅の刃という作品は、本当に連載当初から一貫して面白い傑作だったのだろうか。はたして多くのレビュアーが書いているように、最初から真面目に読んでいれば面白い作品だったのだろうか。
私はそうはとらえていない。
この作品は初見においては本質的に2つの問題を抱えているからである。
それが、作品構成と特異なキャラクター群、なのである。
具体的には、作品構成においては、連載の運命を決定する序盤において非常に地味な作品作りをしたという点。これは本誌連載派が「この作品は打ち切りだな」と判断するに十分な条件だった。
そして2点目、これが最も大きな問題なのだが登場人物たちが全員、
「読み返すほどハマる=初見では、若干特異に思えてしまう」とう問題点なのである。
この2つが多くのジャンプガチ勢を困惑させ、作品の面白さを見誤らせた要因なのだろう。
では、作品構成の問題を具体的に1巻から振り返ってみよう。
まず、有名な「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」の第一話の構成は非常に完成されている。ただ、ジャンプの第一話として陰惨すぎる傾向はあった。ここで、一定層の読者が見限った可能性は高い。
個人的には、義勇さんの心情を描いているあたりのネームは良い出来栄えだなぁと思った事を記憶している。それから、鱗滝さんの登場から錆兎までの一連の流れも、典型的な修行パートではあるが、よくできている。ここまで構成には違和感はない。
半面、この頃登場する敵キャラクター群が魅力的かというと、キャラクター・デザイン両面において、かなり弱い。これが序盤の鬼滅不人気を支持する要因となっている。
バトル主軸の作品においてキャラクターデザインと戦闘描写が地味というのは、かなり大きな問題で、それゆえに本作はかなり不安な連載下位の位置にさらされてしまう。
2巻においても、その方向は加速する。
鬼狩りという地味な作業を繰り返す誠実な主人公だが、読み込んでいる読者にこそ主人公を応援したくなる気持ちが湧くものの、中途半端に読んでいると、地味な敵と小さな小競り合いを繰り返しているようにしか見えない。
また、珠世さんと愈史郎という後半超重要なポジションを担うことになるキャラクター達も作品の地味さと相まって、その魅力を発揮できていない。
二人とも出会ってばかりの炭治郎に距離を置いているせいもあって、尚更だ。
無惨様が魅力を発揮しはじめるのも当然、まだ先のことである。
そして、この流れは3巻においても覆せていないのである。
流石にここまでくると打ち切られて仕方ないグループに入ってくる。
特に元・下弦の鬼であった響凱の存在が難しく、後半、上弦との戦いが盛り上がってくる頃には、その設定の面白さがわかるのだが、連載当時は十二鬼月の名前こそ出ているものの、全く魅力を感じれていないために、太鼓をつけた変なキャラクターにしか見えない。そこに加えて、伊之助もまだ感情の幅を見せられていないため、猪をかぶった好戦的な変なキャラクターで終わってしまっているのである。善逸に至っては論外で3巻においては本当に良いとこなしである。
そんな中で、若干の転機を見せるのが4巻である。
善逸と伊之助と炭治郎の3人の良さとキャラクターの魅力が徐々に見えてくる。
特に伊之助に関しては、優しさというものに気づくシーンが描かれるようになり、3巻の頭のおかしい存在から徐々に人気キャラクターの片鱗を見せ始めるのである。
このタイミングで本作の面白さに気づけた読者がいたとしたら相当な達人だろう。
そして5巻。
ついに義勇さんとしのぶの活躍である。また、今まで出てきた雑魚鬼達のキャラクターデザインと異なり、一段上の強さを見せつける下弦の累。ヒノカミ神楽の伏線を張り始めたのも、この頃である。そして、それをさらに上回る「柱」の実力。
長い下積み暗黒時代を終えて、ついに作品の魅力が発揮されてきたのが5巻だったといえよう。
最後に、結局このタイミングで作品に追いついた読者が多かったと思われるのが、
6巻の柱合裁判なのだろう。
義勇さんと鱗滝さんの命を懸けた手紙。あのシーンでこの作品は流れが変わった。
これは以後、この作品を貫くことになる、
「初見ではわからないけれども各キャラクターの行動には理由があり、
その裏には魅力を備えている」
という本作を支える重要な要素になるのである。
実際、コミックスを最初から読み直そうと私が思ったのもこのタイミングだった。
それぐらい、この巻に収録されている話の流れは完璧である。
なお、この頃はまだ鬼滅の連載位置は危なかった覚えがあり、人気がなかったおかげで、下弦の鬼を一気に斬殺するという手法が取れたのも、ある意味功を奏した。
もっと人気が出ていれば十二鬼月全員と戦ってしまう引き延ばし展開も十分あり得ただろう。
そこから先はもうあまり語る必要もなく、伝説の8巻における煉獄杏寿郎の死をもって本作はジャンプの柱に君臨するのである。
とはいえ、それはあくまで読者の心の中だけの話で、ここから本作がメジャーになるまでには、まだ3年ほどの時間を要するわけだが・・・
その頃の記事はこちら。
というわけでマンガ読みなら十分面白いと感じ取れたであろう巻数としては、なんとなくで4巻、そして本格展開としては6巻。確実にはまるのが8巻といった流れだろうか。特に、1巻は別にして2,3巻の低迷時代は厳しく、このあたりが作品構成として多くの読者が、読み飛ばしていたのも頷ける点なのである。
ここまでが要因の1点目となる作品構成の問題である。
しかし、それだけであれば、いくらアニメの存在が大きかったとはいえ、ここまでメジャー作品に成長しないのもマンガの常である。
では、なぜここまでメジャー作品になったのか。
それが2点目の、読み返すほど魅力的なキャラクター群なのである。
本作を単行本で購入した読者は皆知っていることだと思うが、この作品は、
「読めば読むほど面白い」のである。
決して複雑な伏線が張られているわけでもなく、あっと驚く展開があるわけでもなく、
ストーリーは宿敵の鬼を狩るという、ある意味一本道の作品だ。
しかし、その中で描かれているキャラクターの魅力が素晴らしいのである。
敵味方含めて短時間で描かれる過去パートの描写力が抜群で、それゆえに何度も読み込むほど、その境遇に没頭してしまい、キャラクターに魅力を感じるつくりになっているのである。
そして困ったことに、これは初見で読むと伝わらない面白さなのである。
なぜなら本作のキャラクター群が非常に地味で不器用だからだ。
特にそれを体現しているのが主人公の炭治郎だった。
彼の持つ誠実さや素直さは、最初は主人公としては非常に物足りなく感じるが、読めば読むほど、彼の悲惨な境遇に共感し、次第に応援したくなる仕組みになっている。
そして、誠実で素直というのは、王道作品にだけ許される、最高の主人公像のパターンなのである。
そこまでハマってくると、もう何をやっても作品が面白く感じれるようになる。
時たま描かれる「長男だから我慢できた」的な奇妙なネームも、最早キャラクターの味わいにしか思えず、読めば読むほど虜になっていくのである。
命を懸けて散っていった柱達も全員、柱合裁判の時には全く好感が持てないメンバーだった。しかし、それは炭治郎=読者と柱達の心の距離そのままであり、各キャラクターの過去の背景を読んでからもう一度本作を読み直すと、様々な初見における言動が愛しくてたまらなくなっているのである。
そうやって読み返してみると、各キャラクターが初登場時に、どうしてそのような言動・行動を取っているかがぶれなく描かれている事がわかる。
これはなかなか凄いことで、キャラクター造詣が登場時から完成しているという事なのだ。
この、キャラクター群の持つ魅力こそが、アニメから入った多くの読者を虜にした最大のポイントだったと思われる。そして、それこそが初見で連載を流し読みしていたジャンプ連載派に見抜けなかった本作の魅力だったのだ。
アニメで入り、マンガを再読して、さらにその独特な世界観とキャラクターにはまる。
こうして、鬼滅の刃は、ジャンプ史上類を見ない、打ち切りグループから看板作品への昇華を遂げたわけなのだ。
勿論、この作品だけが特別だったわけではなく過去にも似たような境遇にあった作品はあった。しかし、ほとんどの場合、この「再読される機会」をもらえずに、地味な作品として完結するものが殆どである。その意味では、近年、これだけ幸福だった作品は少ないだろう。
クライマックスから完結まであとわずかと信じて、吾峠先生の描く物語をあと少し楽しみたいものだ。
ちなみに、ほぼ初版だった鬼滅の刃全巻を、とっくの昔に自炊で断裁してスキャンしてしまったことを後悔した事を最後に付け加えておく・・・
まさか、あんなに高値になるとはなぁ・・・