つれづれマンガ日記 改

マンガをテーマに、なんとなく感想。レビュー、おすすめ、名作、駄作、etc

鈴木先生

大変レビューの難しい作品。それが本作「鈴木先生」だ。

有名作品なのであらすじは省くが、
中学校の教師と生徒の日常をテーマにした作品だ。

個人的感想を述べれば、第一巻は本当に素晴らしかった。
特に第一話の「食事のマナー」に関する問題は大変な力作である。
親友や恋人に食事のマナーを指摘できる方が
どれだけいるだろうか。
そんな難しいテーマを週刊誌で多くの人間に
指摘するわけだから、これは本当に恐ろしい話だ。

作者がどれだけ入念に作品作りを行ったかが、
痛いほど伝わる。

そして、この話の結末は、
「言葉」の力による説得を使っていない。

「自由な討論という場は常に最良の道なのでしょうか?」
という作中のキャラクターの発言を受けて、
鈴木先生は討論をしない。

これは後の「言葉」による全ての解決を試みようとする
鈴木先生のスタイルとは大きく違う点だ。

物語が進むほど、本作は「言葉」や「論理」による
解決を重視する作品となる。

もちろん「言葉」による説得も作品としては面白いのだが、
一作の完成度で見ると、やはり一話がずば抜けている。

若干「性」の問題にウェイトを裂きすぎた感があり、
故に批判的な読者も多くいるようだが、
中盤のヤマとなる「鈴木裁判」まで併せて読むと、
腑に落ちる部分もある。
(序盤は性問題が多すぎて食傷気味になるが)
後半は作者自身も言うとおり、フィールドを変えて、
やや娯楽作品的に仕上げようとしているため、
序盤とは異なる毛色に仕上がっている。

個人的にはやはり序盤を推したい。

ただし、本作を批判してやまない方も多い。
性や教育の問題には自分の意見と異なる存在を
絶対に許したくない人たちが多いためだ。

鈴木先生を通して学ぶべきことは、
鈴木先生のような考え方をする人間が世の中にはいる」
という、ただそれだけの事だ。

それに対して過剰反応してしまうと、
感情的なレビューを書いてしまう事になる。

また、もう一つイヤらしい読み方がある。
それは本作を「ギャグ」として扱う点だ。

本作の単行本には全て「解説」がついている。
多くの解説者は、「大笑いした」「爆笑した」
という表現を交えながら、「色々考えさせられる」と締めている。

これは正直得心が行かない。

本作には「ギャグ」として逃げ出したくなる
思考の閉塞感があったのではないだろうか。

あの閉鎖した、他人の思考の煮え湯を飲まされるような展開を
「ギャグ」として切り離さないと、自分の思考が煮詰まってしまう。

そんな逃げ方に感じる。

けれどもそれは、「マンガ」というジャンルを楽しむには、
あまりに「オトナ」なやり口ではないだろうか。

そんな中でも、

自分の思考停止を全面的に認めて、
本作を爆笑している「新井英樹」(7巻)

言葉の無力さについて
描かれていない点を指摘している「清水正」(6巻)

本作の過剰な思考こそが
実際の人間の思考の写実化と書いた「中田敦彦」(10巻)

等は非常に共感の持てる解説となっていた。
お笑い芸人のマンガ批評など少しもあてにしていなかったが、
それは愚考であった。

作者自身も最後の「あとがき」で
「ギャグとして楽しんでほしい一面があった」
と書いているが、それは環境の要請であったと私は考える。

少なくとも、そういう同調圧力が作者の周りにあったはずだし、
第一話は、「ギャグ」としては決して描かれていない。

読む側にも、許容と思考への圧力が加えられる苦しい作品。
それが異色の傑作「鈴木先生」なのだ。

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鈴木先生 全11巻 完結セット (アクションコミックス)

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